- 当たり屋につけ
- 売り買いは腹八分
- 行き過ぎもまた相場
- 売るべし 買うべし 休むべし
- 相場は明日もある
- 売りは早かれ 買いは遅かれ
- 買いにくい相場は高い
- 閑散に売りなし
- 押目待ちの押目なし
- 買いたい弱気 売りたい強気
- 相場の器用貧乏
- 人の行く裏に道あり花の山
- 株を買うより時を買え
- 逆日歩に買いなし
- 天井三日 底百日
- 備えあれば迷いなし
- 三割高下に向かえ
- 人の行く裏に道あり花の山
- 見切り千両
- 遠くのものは避けよ
- 二度に買うべし 二度に売るべし
- もうはまだなり まだはもうなり
- 朝顔の花ひとつ時
- 命金に手をつけるな
- 陰きわまれば陽転す
- 大相場には乗れ、常の相場には向かえ
- 資産家は恐慌時に生まれる
- 事件会社の株は敬遠すべし
- 需給はすべての材料に優先する
- 相場に王道なし
- 相場は相場に聞け
- 長期投資は株価より企業力を買え
- 遠くのものは避けよ
- 初押しは買い
- 下手なナンピン怪我の元
- 山高ければ谷深し
- 株は安く買って高く売る
- 素人がプロに勝てるのは時間である
- 暴落相場の赤札銘柄は買い
- 指数はいずれサヤ寄せする
- 全面高したあとの相場は怖い
- 風が吹けば桶屋が儲かる
- 電気が消えるとお化けが出る
- 株は経済の先行きを映す鏡
- ついた値段は正しい
- 相場は夢と現実の間で揺れ動く
- 天井も底値も大衆がつける
- 株屋殺すにや、刃物はいらぬ
- 見ざる、言わざる、聞かざる
- 野も山もみな弱気なら あほうになって買いの種をまけ
- 実体の伴なわない相場は長続きしない
- 保合い(もちあい)相場の対応で、天国にも地獄にもなる
- 国策には逆らうな
- 知ったらしまい
- 最初の大商いには黙ってつけ
- 下げるときは一株でも下げる
- 節分天井の彼岸底
- 二番底は黙って買え
- 冷水3斗で底が入る
- 顔色の悪い社長の株は買うな
- 商いは買い手がいるうちにやれ
- 鬼より怖い一文新値
- 半値八掛け二割引きで底が入る
当たり屋につけ
売っても買っても連戦連勝という人が、時に出現する。売買の周期が、相場のサイクルにぴったり符合する人、めったに出動しないがひとたび売買すれば必ず利益を収める人等、いわゆる“当たり屋”と呼ばれる人びとがいる。むろん、単なるマグレ当たりの場合もあるだろうが、日常生活のなかでも、うまくいくときはふしぎに次の手もうまくいくという経験をお持ちの方が多いはず。そういう場合が、株式投資にもあり得るわけだ。
そこで第三者があれこれ思い迷うよりは、いっそ“当たり屋”と同じ売買をした方がよいと考え、これに便乗する。これが「当たり屋につけ」または「当たり屋にチョウチン」の意味である。当たり屋がいつまでも当たり屋である限り、この方法は手間ヒマかけずに利をつかむ便利なものといえる。 しかし世の中と同様、相場はそんなに単純なものではないし、甘いものでもない。“当たり屋”は、いつか“曲がり屋”(思惑のはずれた投資家)になる日を迎えなければならない。もちろん便乗組も同じ運命をたどるわけだ。そして、自らの決断で投資したものでないだけに、失敗したときの後悔はあと味も悪い。
売り買いは腹八分
この格言は、2つの意味を持っている。その一つは、最高値で売ろうとか最安値で買おうと思うなという戒めであり、いまひとつは相場に向ける資力は適当にとどめ、決して全財産を投入するなという教えである。
前者の方は、欲の爪を伸ばしてアブハチとらずにならないように、八分目くらいで我慢しなさいというものだが、八分目といったところで実際の天井、底の値段がわかるはずはなく、要はもうそろそろと思ったところで売りまたは買う心を教えているものだ。言葉は悪いが「アタマとシッポは呉れてやれ」といい、骨までしゃぶろうとする愚かさを戒める格言もある。つまり、利食いで売った株は誰かが買うわけだが、その買った人にもいくらかは食べられるところを残しておけというたとえである。同じ意味の格言でキレイな表現のものもある。「バラを切るごとく売るべし」がそれだ。苦心して育てたバラを八分咲きで切るのは惜しい気もするが、満開になってからでは、これをもらって喜ぶ人は誰もいない。株を売るのも同様だというものである。
行き過ぎもまた相場
物事には、動があればその反動がある。株式相場でも、人気が過熱気味で上に行き過ぎたときには、その後の下げもきつい。いわば、妥当と見られた水準を上向った分だけ、下げのときも予想をさらに下回ることになる。いってみれば“相場の勢い”である。
したがって、どの指標を見ても、どう試算しても、これ以上株価が高くなるはずはないといってみたところで、現実に株価はこの予想を上回ってしまう。ちょうど、スピードを出して走ってきた自動車が、急ブレーキをかけてもすぐには止まれないようなものである。勢いがついているものは、結局、行きつくところまで行かなければおさまりがつかない。それも相場のうちであることと知っておくべきだというのが、この「行き過ぎもまた相場」という言葉である。同時に、行き過ぎがあれば、その分は反動を覚悟しなければならないことも教えている。
売るべし 買うべし 休むべし
年中、売ったり買ったりしていなければ気のすまない人がいる。失礼な言い方だが、そういうやり方で儲かっている人はいないのではないだろうか。
株式投資に売りと買いのどちらかしかないと思うのは誤りで、休むことも大切な要素であると説くのが、この「売るべし 買うべし 休むべし」である。「売り買い休みの三筋道」とか「休むも相場」等ともいう。
だいたいが人間は欲と道連れである。相場で利益を上げれば「もっと取ってやろう」と思い、損をすれば「今度は取り返そう」と、常に売ったり買ったりしてしまいがちだ。こういう心理には、知らず知らずにおごりと焦りの気持ちが入り込んでいる。この2つが、共に相場には大禁物であることは前にも述べた。むろん結果は歴然であろう。
損得に関係なく、一つの売買が終わったら一歩退いて市場の環境や相場の動向、そして天下の形勢をゆっくり眺め回す余裕を持つ。この間に目のくもりを払拭し、心身のコンディションを調整し、同時に投資資金を整えて、次の機会に備えるわけだ。
相場は明日もある
明日という言葉に抱くイメージは、日本と西洋では大きな違いがある。 日本のそれは、「明日は明日の風が吹く」や「明日ありと思う心のあだ桜」と、やや刹那的でありヤケ気味だが、西洋では「明日は今日よりもっと良い日だ」と明日を楽しみにする風潮が強い。
株式投資で“明日”を見る場合は、日本的心情ではなく、西洋式でいきたいものだ。特に買いの場合は、この気持ちが大切になる。
せっかちというのか、そそっかしいというのか、好材料が出現するとわれ先に飛びつき買いをする。今買わなければ、永久に買い損なうといわんばかりの風情である。しかし、相場の方は皮肉にもそれが目先の天井で翌日には安くなるといったケースが多い。材料が出たら、できるだけよく調べてから買っても決して遅くない。それが翌日だろうと何日後であろうともだ。材料が本物であって、実際に株価が上がるなら、1日ぐらいの遅れは大勢に影響ないではないか。みんなが一斉に買いついているときの相場は不自然なものである。その後に現れる相場こそ、本来の姿だ。これを待って仕掛けることが成功の道につながるといえよう。「相場は明日もある」とは、焦りを戒め、機会をじっくり待つことを教えた格言である。
売りは早かれ 買いは遅かれ
株式投資では、買いは易しいが売りは難しいといわれる。売りが上手になれば、投資家として超一流の力量と認められるほどだ。
前述の「天井三日、底百日」にもいうとおり、買い場は随所にあるが、売り場は短い。それだけに買いはじっくり構えた方がかえって安く買えることもあるが、売りの方は一瞬のチャンスをつかむがごとく迅速に行動すべし……それが「売りは早かれ 買いは遅かれ」の意味である。
だいたい売りの場合は、利が乗っていればいるほど、もう少しもう少しと欲張ってついチャンスを失するばかりか、損失勘定になってしまうこともある。画餅は食えないものだ。幅は小さくとももうけはもうけである。瞬時のチャンスがあればサッと売り、利益を現実のものとして自分の手中に収めることが必要となろう。その利益を投資資金に繰り入れて、再び次の機会を狙えばよい。買い場は、いくらでもある。悠然と構えることである。
買いにくい相場は高い
日本人は買い物が下手だといわれる。その典型が「安物買いの銭失い」である。これは一面からいうと、買い物の無計画性を示すものであり、お金の価値をしっかりつかんでいないから起こるものと見てよさそうだ。
株式投資においても、この傾向は多い。安いからというただそれだけの理由で、株式を買う人がいる。むろん、相場全体の水準が極めて安いところにある場合には、この投資方法でかまわない。しかし、ふつうのときに特定のある株式だけが安値にあるからといって無条件で買うと、思惑どおりにいかないことが多いのである。というのは、株価が安いところに置かれているのには、それなりの事情がある。事業そのものの見通しが立たず、業績推移が思わしくない、元来が人気のつきにくいものである等の理由だ。したがって、安値はいつまでたっても安値のままで放置されることになる。こういう株式を買うと、長い間に飽きがきて、たいていは投げ出さざるを得ない羽目に陥る。
その逆は、株価が高いというだけの理由で手を出したがらない心理である。なぜ高いかには、安いものと同様にそれなりの理由がある。先行きの業績の伸び、それに伴う増資、増配の予想を織り込み、さらに人気の要素も加わっての株価水準と見なければならない。そうした理由も考えずに、ただ単に高いということだけで敬遠していては、せっかくの相場にも乗れないというわけだ。
閑散に売りなし
大きな動きを繰り返した後、相場が上にも下にも行かず、いわば無風状態になることがある。これを保合(もちあ)いという。保合いも最初のうちは売買量が伴って、多少は相場のエネルギーも感じさせるが、次第に振幅がなくなるにつれて商いが細っていく。ついにはパッタリと株価が動かなくなる。 株価が動かなければ、売ろうにも買おうにも手の出しようがなく、したがって市場は閑古鳥が鳴くような寂しさとなる。こういう状態が長く続けばたいていの人は嫌気がさし、持ち株があれば投げ出したくなるものだ。つまり、弱気色が市場に満ちてくるわけである。そこにつけ込んで、わざと売ってくる人もあって、相場は再び下げ歩調となる。
しかし、相場自体のすう勢として下げたものではなく、いわば人為的に売り叩いた結果としての下げだから、いったん売り物が一巡すると急激に反騰することが多い。前項の“動反動”ではないが、静止しているゴムまりをギュッと踏みつけたために弾みがついたようなものである。そこで長いもちあい期間を我慢していた投資家が一斉に買って出る。売り込んだ人も買い戻すということで、思わぬ上昇相場を現出させる。「閑散に売りなし」とは、そういう状況でうっかり売り込む愚を避けることを教えたものだ。
押目待ちの押目なし
買おうと思うが株価は上がる一方。とはいうものの、どうせ一本調子では上がるまい。一度は下がってくるときがあるだろう。そこで買おう――というのが、押目待ち。しかし、相場の勢いが強いときには、なかなか望みどおりには下がってくれないものだ。結局「押目待ちの押目なし」となり、相当高くなってから買ったり、あるいはついに買いを諦めざるを得ないことになる。
また押目待ちの気持ちには、最初買おうと思った値段にこだわる傾向がある。だから、仮に押目があったにしても、小幅であるときには「もう少しで自分の考えていた値段まで下がる」と考え、せっかくの買いチャンスを逃がす場合も多い。
その反対に、下げ相場になって売り損なった人が、少しでも高く売りたい気持ちから戻りを待つが、その期待もむなしく相場はどんどん下がり、ついに売れなかったり大底で投げる羽目に陥る。これが「戻り待ちに戻りなし」である。
買いたい弱気 売りたい強気
株式投資は、将来の予測に賭ける知的利殖法だという見方がある。しかもそれは、誰の力を借りるわけではなく、あくまでも自分一人の判断によるという大前提がある。
人にとって、孤独な判断や決断ほど苦手なものはない。たとえ最初から聞く気はなくとも、他人に意見を求めようとする。心の負担を減らし、自分の考えを正当化しようとするためだ。逆にいえば、自分の判断に自信がなく、したがって希望的観測にすがりついている姿が浮き彫りにされてくる。そこで、この格言が生まれてきた。
例えば「買いたい弱気」。上げ相場のさなか、本心では買いたいと思っていながら、少しは下がって安いところで買えそうな気がしてくる。それが高じて、どうしても相場が下がってほしい、いや下がるのだという希望的観測にとらわれて“ニワカ弱気”となり、ついには逆目の売りに手を出してしまう。「売りたい強気」はその反対である。つまり、自分の都合で立てた仮説が、いつか自分をがんじがらめに縛り上げるようなものだ。
相場の器用貧乏
何をやらせても一応ソツなくまとめる、便利で重宝な社員がどこの職場にもいる。上役からの“お呼び”も多く、周囲から羨望の目で見られ、出世間違いなしとのカケ声もかかる。が、結果は期待はずれ。昇進は途中で足踏みとなり、大成した例はあまり聞かない。これが“器用貧乏”。
株式投資もまったく同様である。小手先を利かせて売ったり買ったりしていては、目先の小幅な利益は上げ得ても大きな成果は期待できない。しかも相場の上げ下げ両方を、うまく立ち回って手中に収めようとすれば、いかに名人といえども百発百中というわけにはいかない。いつか必ずウラ目が出て、それまでの利益をすっかり吐き出すことにもなる。
「カミソリと鉈(なた)」のたとえではないが、長もちし大成しようと思うなら、目先を追って小回りを利かすよりも、肚をすえてどっしり構えるにしくはなさそうだ。株式相場というものは、そう簡単に分かるものではない。分かったような気になったり、分かったふりをするのは、間違いのもとになる。
人の行く裏に道あり花の山
株式投資の格言といえば、何をおいてもまず出てくるのが、この言葉である。投資家は、とかく群集心理で動きがちだ。いわゆる付和雷同である。が、それでは大きな成功は得られない。むしろ他人とは反対のことをやった方が、うまくいく場合が多いと説いている。
大勢に順応すれば、確かに危険は少ないし、事なかれ主義で何事によらず逆らわないのが世渡りの平均像とすれば、この格言、多分にアマノジャク精神に満ちている。だが、人生の成功者は誰もやらないことを黙々とやってきた人たちであり、欧米では「リッチマンになりたければ“孤独”に耐えろ」と教えるのが通例。人並みにやっていたのでは、人並みの結果しか得られないというわけだ。
株式相場は、上げばかりでもなければ、下げばかりが続くこともない。どこかで転機を迎える。その転機を、どうしたらつかめるか。四囲の環境や材料から続み取るのは、むろん大切なことだが、大勢があまりにも一方へ偏り過ぎたときなどには、この格言を思い出すことだ。
株を買うより時を買え
投資対象の選択が重要でないというわけではない。それよりも投資の時期を選ぶことの方がはるかに大切だという教えである。
「漁師は潮を見る」という。経験豊かな漁師なら気象のほかに潮流の微妙な変化を読み取って、出漁の機会をつかむものだ。株式投資も同様である。経験をつめば、ちょうど潮が満ちてくるのを感じるように上げ相場の到来を予知できるようになるという。むろんそれは、単なるカンではなく多種多様の指標や材料を的確に分析した結果というべきだろう。
同じ優良株でも、やはり買い時を誤ると結果は思わしくないものだ。
逆日歩に買いなし
信用取引には買い建てと売り建てがある。買い建ては値上がりを待って売り、売り建ては値下がりを待ってその差益を得ようとするものだ。この場合、買い方は買い方金利を支払い、売り方は売り方金利を受け取る。ところが売り方の建て玉が買い方のそれを上回ると、売り方は買い方に日歩を支払わなければならなくなる。これが逆日歩(ぎゃくひぶ)である。売りに対して買いが少なくなればなるほど、逆日歩は大きくなり、売り方は窮地に立つ。そこで売り方はたまらず高値を承知で買い戻す(これを踏むという)ことになるわけだ。当然ながら、この買い戻しによって株価はさらに高くなる。これが踏み上げ相場である。
天井三日 底百日
この格言は、長期投資を心がけている向きには関係がなく、目先的に小波動を狙う人が、相場のサイクルとはそういうものだと覚えておくのに便利な格言である。
相場の推移の典型とは、ちょうどなだらかな山の稜線を描くように、ゆっくり上昇していき、突如として急勾配を登りつめたと思ったとたん、急坂を一気に下り、再び次の上昇を始めるまで長い期間にわたって横ばいを続ける。その感じを、仮に日数で表現するとすれば「天井三日、底百日」または「天井三日、底三年」ということになる。
備えあれば迷いなし
株式投資で最も大切なことは、売買に際しての確固たる自信と決断である。少しでも迷いがあってはいけない。基盤が軟弱であれば、ちょっとしたことにも動揺しやすくなる。水鳥の羽音に驚き、枯れすすきを幽霊と間違えてギョッとする前に、揺るぎない心の備えを固めておけというわけだ。
同時に、まさかのときにも動じない資力をたくわえておく必要も説いている。あとで詳しく触れるが、ギリギリの資金で株式投資をしていると、常に損をしてはいけないとせっぱつまった気持ちでいるために、わずかのことでも動揺し迷いだす。迷ったら最後、適切な処置はできなくなるのが通例だ。
三割高下に向かえ
相場が上がれば、際限なく欲の爪を伸ばし「とことん上がるまで売るものか」というタイプの投資家が多い。その欲が災いして、取れるものも取れず、あまつさえ損勘定になってしまう例も多いようだ。
そこで、あらかじめ目標を立てておき、何割上がったら後はどうあろうとも利食い売りしようとする戦法がある。ただし、これは波乱含みの相場には通用しにくい面がある。普通の穏当な値動きのときだけに応用すべきだろう。例えば100円の株式を買ったら3割高の130円で売るわけで、いわば投資資金の効率(回転率)を高めよという教えである。むろん、この戦法をとる限り、余計な迷いを寄せつけないという効用もある。
人の行く裏に道あり花の山
株式投資の格言といえば、何をおいてもまず出てくるのが、この言葉である。投資家は、とかく群集心理で動きがちだ。いわゆる付和雷同である。が、それでは大きな成功は得られない。むしろ他人とは反対のことをやった方が、うまくいく場合が多いと説いている。
大勢に順応すれば、確かに危険は少ないし、事なかれ主義で何事によらず逆らわないのが世渡りの平均像とすれば、この格言、多分にアマノジャク精神に満ちている。だが、人生の成功者は誰もやらないことを黙々とやってきた人たちであり、欧米では「リッチマンになりたければ“孤独”に耐えろ」と教えるのが通例。人並みにやっていたのでは、人並みの結果しか得られないというわけだ。
見切り千両
買った株が値下がりしたときの投資家心理は、言葉では言い表わせないほど、つらい。居ても立ってもいられないジリジリした気持ちに襲われ、迷い始める。そこで、どうするか。多くの人は、自分の下した判断に未練を残し、株価が戻ることを期待してそのまま持ち続けるものだ。しかし、株価はなお下がり続ける一方で、ついにはとんでもない安値で投げざるを得ない羽目に陥る。「少しくらいの損なら、さっさと売っておくのだった」と後悔することになる。
そこで「見切り千両」という格言が効いてくる。損には違いないが、それによって大損が避けられるのなら、千金の価値があろうというものである。
遠くのものは避けよ
全国の上場株はおよそ3,700(2010年10月末現在)。そのなかから投資対象を選ぶのに、わざわざなじみのないものに目を向ける必要はあるまい。仕事の関係とか、日常生活で愛用している商品を通じて、多少とも知識や親近感を持っている株式を選んだ方が間違いは少ないというものだ。株式のことはあまり知らない家庭の主婦が、ふだん自分が使っている家庭用品のメーカーに投資して、利益を上げた実例がある。あとでその婦人が言うには「こんないい製品を作っている会社の株を持ってみたかっただけ」。
つまり、投資のヒントは身の回りにいっぱい転がっている。それに気づかないで、自分の不得手な知らないものを選ぶテはないと言うわけだ。
二度に買うべし 二度に売るべし
自分の判断が本当に正しいかどうかは、結果を見てみなければ分からない。買ってみるか、売ってみるかして、さてどういう結果が出るか。当たりか、それともはずれか。いくら自信があっても、相場がそのとおりに動く保証はない。これまでも繰り返し述べてきたとおりである。「相場は相場に聞け」ではないが、まず相場にさぐりを入れる。つまり打診をして、自分の判断の当否を確かめてみてはどうか。その結果、予想通りであることが分かったら、そこで初めて本格出動してもまだ十分に間に合うはずだ。一度にどっと出ていって失敗することを考えれば、このくらいの手間ヒマは惜しむに価しない。いわば、石橋を叩いて渡るがごとき慎重さが、株式投資には何よりも必要となる。「二度に買うべし、二度に売るべし」は、その慎重さを説いた教訓である。
もうはまだなり まだはもうなり
「人の行く裏に道あり 花の山」とならんで、格言の双璧といっていいほどよく口にされる言葉である。
原文は後に紹介するが、八木虎之巻のほかに宗久翁秘録にも記載があるところを見ると、相場を志す人はほとんどがこの言葉を口ずさんで今日に至っているような気がする。
言葉の意味は、もう底だと思えるようなときは、まだ下値があるのではないかと一応考えてみなさい。反対に、まだ下がるのではないかと思うときは、もうこのへんが底かもしれないと反省してみてはどうか――というものだ。
つまり、微妙な相場の変化に対して、自分だけの独善的な判断を振り回すことが、いかに危険であるかを説いた言葉といえよう。
朝顔の花ひとつ時
仕手株相場は相場が激しく動くことから、一見華々しく見えますが、その多くは朝顔の花のようにあっけなくしおれてしまうことが多くみられます。
仕手株の場合、仕手が入ったと一般投資家に分かった時点で大抵、仕手の本尊は売り逃げています。その挙句、暴落した株をつかまされて涙にくれるのは一般投資家と言えます。
そのような羽目にならないように仕手株からは一歩距離を置き、絶対手を出さないようにしましょう、という格言です。
命金に手をつけるな
株式投資は余裕資金でやるべきで、思惑がはずれて困るような資金を投入してはいけないという教訓。
日々の生活費はもちろん、マイホームのための頭金や子どものための教育費、老後の生活資金を投じるのは禁物。
特に投機的な売買は絶対避けるべきで、失敗して取り返しのつかないことになってしまいます。 株式投資の最も基本的な心構えを示す格言です。
陰きわまれば陽転す
「陰の極」とは相場の人気が極端になくなり、売買高もきわめて細ってしまった状態を指します。
もうこれ以上は悪くなりようがないという意味で「極(きょく)」と言われるのですが、陰の状態は長く続かないものでもあります。
この格言は、売るものが出尽くした陰の極はあとから振り返れば絶好の買い場だったということがよくあること、と言う意味で使われます。 「夜明け前が一番暗い」、「閑散に売りなし」も同じような意味の格言です。
大相場には乗れ、常の相場には向かえ
バブルのときに経験したように、大相場の株価は何回も上下動を繰り返しながら右肩上がりに上がっていきます。そのためいずれ利喰えるので積極的に買いに出るべき。
一方、通常の相場となるとそうはいかない。高値でつかむと戻すまでに長い時間がかかるので、常に売るタイミングを意識することが必要だということをこの格言は説いています。
資産家は恐慌時に生まれる
恐慌時には株価が企業の実体以上に暴落、下落します。
一般の投資家は途方にくれて右往左往してしまうものですが、実はこのときがチャンスと言えます。
「大相場は総悲観の中から生まれる」と言われるように、相場全体が総弱気のときに勇気を出して買いに出ることのできる投資家が本当の大資産家になれるという米国の格言です。
資本主義の総本山、ニューヨーク大恐慌を経験した超大国ならではの格言と言えます。
事件会社の株は敬遠すべし
企業が社会的な事件を起こすと、その企業は社会から批判の的とされ、先行きが不透明なことから投資は避けるべきだというのがこの格言の意味です。
「危うきは避け、疑わしきは待つべし」という格言もあり、一般投資家としては事件会社については事件が落ち着くのを待つか、はじめから投資対象としないほうが安全と言えます。
需給はすべての材料に優先する
言うまでもなく株価は株式市場に参加している買いたい人と売りたい人の注文の出会いによって形成されます。すなわち、株価の変動は投資家たちの株式の需給関係によって決まるわけです。
そのためいくら業績がいい銘柄であっても、驚くような画期的な新製品の発表があっても買おうという人が現われない限り、株価が上がることはありません。
この格言はこうした株式市場のクールな特性を言い表しています。
相場に王道なし
株式投資はすべて自己責任の世界です。それだけに日常の基礎的な学習と資料収集による研究、すなわち毎日新聞を読むことはむろんのこと、国内外の経済や社会の流れを把握し、自分なりの投資哲学を構築していくことが大切だとこの格言は言っています。
結局、株式投資は証券会社の営業マンや株式評論家の意見に頼るのではなく、その意見を参考にしながら自分の頭で考え、判断して行動するしかないと言えます。
相場は相場に聞け
自分の判断にこだわったり、意地を張るのは相場には禁物と言えます。
この格言は、相場の行方は相場だけが知っており、素直に相場に従うべきだという教えです。魚釣りがまず、アタリを探ってから本格的に釣り始めるように、株式投資にも打診買いというものがあります。
まず興味のある株式を少し買って株価の動向を見定め、株価が上昇すれば買い増し、下がるようなことがあれば自分の判断が誤りであったことを素直に反省し、売りに回る。
こうしたやり方が「相場に相場を聞いた」ということです。
長期投資は株価より企業力を買え
成長力のある会社に自分自身の余力資金を使い長期にわたって投資することが株式投資の成功のカギであることを説く格言です。
短期投資(通常3~6ヵ月)は毎日の株価の変動に惑わされてしまいがちですが、長期投資の場合はそうしたことがないばかりか、安定配当や株式分割(無償増資など)による持ち株の増加も見込めます。
長期投資の対象企業選びは業界の将来性や企業の収益性、安定成長などがポイントとなります。
遠くのものは避けよ
投資対象はわざわざ馴染みのないものを選ぶ必要はなく、仕事の関係とか毎日の暮らしで愛用している商品とか、多少なりとも知識や親近感を持っている株式を選ぶ方が間違いは少ないという意味の格言です。
株式市場にはいろいろな情報(材料)がもたらされますが、その中には確かめようもないはるか遠い海外のものも多くあります。そうした株式は避けた方がよいということをこの格言は教えています。
類似の格言に「虫の好かぬ株は買うな」というものもあります。
初押しは買い
人気銘柄でも一本調子で上がり続けることはなく、値下がり(押し)したときこそ買い場だと説く格言です。その理由は、相場の上昇初期はまだ買いの勢いが強いからです。
その反対は「初戻しは売り」と言われます。
人気銘柄が値下がりし、値を戻してきたら下値から3割上げたときが売り時で、相場の転機になりやすいからです。 同じ格言ですが、「初押しは女房を質においても買え」というちょっと乱暴な言い方もあります。
下手なナンピン怪我の元
ナンピン(難平)の難は損、平は平準化するということ。つまり購入した株が値下がりした場合、その銘柄をさらに買い増すことで投資の平均コストを下げ、次の上昇時に利食いやすくする作戦のことをナンピンと言います。
なかなか高度に見える戦術ですが、ナンピンは時期を間違えると投資資金が大きくなった分、損失が拡大し、失敗することが多いことを示している格言です。
購入した株が値下がりしたら、潔く失敗を認めて売り、次の作戦を練ることが大切です。
山高ければ谷深し
株価は暴騰したあとは暴落が待っているということをこの格言は教えています。
また、反対に「谷深ければ山高し」という格言もあり、相場のエネルギーが蓄えられたときの反発はもの凄いものがあるということをこの格言は言っています。
株は安く買って高く売る
すべての格言はこの言葉に集約されるといっていいでしょう。
株に限らず、どのような商売もそうですが、安く仕入れて価値を付加して高く売るから、商いが成り立ちます。
しかしわれわれの多くは、株においては、高値でつかんで安く処分していることが目立ちます。
株式のテキストは数多くあり投資家の皆さんも知識は豊富ですが、悲しいかな人間につきまとう欲がじゃまをして、せっかくの知識が活かされていないのです。
相場格言はこうした欲に打ち勝つための手がかりとなるものです。
素人がプロに勝てるのは時間である
プロとは、昔は相場師のような人を指していましたが、今日では、歩合ディーラーや投信の運用者などをいう場合がほとんどのようです。
昔の相場師は会社訪問などをして銘柄をじっくり研究し、数年がかりで大相場に仕上げていましたが、今のプロと称する人達は、比較的短期間に結果を求められることが多いため、時間をかけて銘柄研究をするということが少なくなったかもしれません。
個人投資家は、企業説明会に出席したり、雑誌や資料等でじっくり会社研究をして、これと思った銘柄には時間をかけて投資することが大きく儲けるこつであるという教えです。
暴落相場の赤札銘柄は買い
全面安相場に逆行高している銘柄には直ちに乗れ、ともいいます。
かつて、証券会社の店内の株価ボードはアルバイト学生が短波のラジオを耳にしてチョークで値段を記入し、際立って高い銘柄は赤いチョークで書いていました。
多くの銘柄が下げている相場で赤く記入された銘柄は目につきますから、理由は分からないが「とにかく買ってみよう」ということで人気となります。
後になって、カラ売りが増えて仕手筋が介入したとか、新製品があるといった何らかの材料が出るものです。
指数はいずれサヤ寄せする
指数とは、日経平均株価、TOPIX、東証2部指数、ジャスダック指数、東証マザーズ指数、大型株指数、小型株指数などです。
アメリカではNYダウ、ナスダック指数などです。
昔は指数も多くなかったため、日経平均(当時は東証平均)と大証平均が指数の比較で使われていました。
薬品など内需関連銘柄で小型株の多い大証平均、重厚長大型の大型銘柄が多い東証平均が、その時々の景気情勢などで、どちらかが先に上下しますが、時間を置いて両指数はいずれ上昇率・下落率が接近するように動きました。
1998年から2000年春にかけての相場では、ジャスダック指数(当時は店頭株指数)から上昇して順次、大型株系の指数がサヤ寄せする形で上昇しました。
また、2001年秋のテロ事件の下げ相場を契機に、ナスダック指数に比べ下落率の小さかったNYダウがナスダック指数にサヤ寄せする形で下げました。
指数をよく観察しましょうという教えです。
全面高したあとの相場は怖い
相場が底入れして上昇に向かい始める時は、多くの人が相場に対して自信を持っているわけではありません。
業績がいいとか、新製品を出したといったことなどを手がかりに、ひと握りの銘柄が買われます。
それらの銘柄がある程度上昇しますと、それまで動いていなかった同業種の銘柄や発行株数の似通った銘柄、あるいは同じテーマの銘柄などが比較感で買われるようになります。
こういった展開の局面では、最初に買われた銘柄が調整しても2番手銘柄群がカバーして全体相場としては上昇基調を続けます。
出遅れ買いが広がっていくと、最後は無配株までが割安となって買われ、さらには、最初に買われて調整していた銘柄が買い直され、市場は全面高の様相となります。
全面高した後の調整は支える銘柄がないため厳しい下げとなります。
風が吹けば桶屋が儲かる
「強い風が吹くと砂ぼこりが舞い、砂が目に入って失明してしまう人が増え、失明した人は三味線を弾くようになるので、三味線に張る猫の皮が必要で猫が減り、猫が減るとネズミが増え、ネズミは桶をかじるので桶の需要が増えて桶屋が繁盛する」という意味で、何の関係もないような事が、まわりまわって相場に思いもよらない影響を与えるという格言です。
電気が消えるとお化けが出る
昭和40年代に盛んに使われた言葉です。
日本の得意とする産業は電機。
その電気株が不振となるとマーケットは電気が消えたように淋しくなってお化けが出るくらいだというわけです。
ただ、ここでいうお化けとは、もうひとつの意味があって、化学株ポストの薬品株を指し、電気株がだめになると代わって薬品株が動くということです。
電気は輸出株の代表、薬品は内需株の代表で、為替の動きなどを映して交互に動くのが普通です。
電気が点いているのにお化けが出る時は天井が近いと読むこともできるでしょう。
株は経済の先行きを映す鏡
人は、鏡に映る自分の顔色や表情、姿などで健康かどうかを判断することが多いものです。
同じように、経済・景気を人の顔色や姿に、株価と株式マーケットを鏡に見立てて、経済・景気の健康状態を論じる時に使います。
例えば、株価が下落傾向にある時や株式マーケットで出来高が少なく沈滞している時は、経済の先行きがおもわしくないことを表しているということです。
ついた値段は正しい
そのまま表現すれば、市場で売り手と買い手によって取引が成立した株価は正しいものである、ということです。
かつては、仕手筋と呼ばれる人達が、1株利益が5、6円程度の株をカラ売りを誘って人気化させ、1,000円を超す相場にもっていくというようなことが頻繁にありました。
1株利益などからみれば理屈に合わない値段であっても、売方・買方の力関係で決まった以上、その株価は正しいということです。
今では仕手筋はすっかり影を潜めましたが、今も昔も、取引所で成立した値段を信じて受け入れないと市場主義の基本が揺るいでしまいます。
相場は夢と現実の間で揺れ動く
小学生の時は、修学旅行のことをあれこれ夢見て嬉しかったものです。
そういう時は、寒さの中を学校に通うのもむしろ楽しいと感じたものです。
昔はテレビが今のように普及していませんでしたから、知らない土地への憧れは今の子供たちに比べ大変強いものでした。
今の子供たちも、勉強を頑張ればゲーム機を買ってあげるといえばゲーム機を手にした時の夢を膨らませて頑張ります。
相場だって同じです。
現実の姿より先行きを期待して動きます。
現実が厳しければ厳しいほど、夢に賭ける気持ちは強いのです。
景気が悪い、企業業績が悪いという現実を突きつけられると、誰しも及び腰となって相場は下落しますが、明確な目標(夢)があれば必ず相場は復調するという教えです。
天井も底値も大衆がつける
われわれ大衆は、自分ではいくら強い意志を持っているとはいっても社会の影響を受けやすいものです。
景気において個人消費は、機械受注、半導体在庫等の先行指標に対し遅れて表れますから、個人消費が絶好調なら景気の天井が近く、個人消費不振なら景気のボトムが近いとみることができます。
株式相場でも、個人投資家がこぞって買うような相場はピークになることが多く、反対に下げ相場で処分を我慢していた個人がたまらず投げ売りしたところが底となるというようなケースはよくあります。
景気も相場も大衆の動きは遅行指標という格言です。
株屋殺すにや、刃物はいらぬ
最近でもまれに株屋と呼ぶ人はいますが、昭和20、30年代の証券会社が株屋と呼ばれた時代には、商人(あきんど)の旦那衆の中でも株屋の主人は相場がよい時は羽振りがひときわよく、ときには目に余るほどだったようです。
そのかわり、相場が沈滞して商いの細る日が続くと意気消沈してしまい、その浮沈の激しさから株屋の旦那を揶揄したことばです。
個人投資家の方も儲かった時にはあまり派手な遊びはしないほうがいいようです。
見ざる、言わざる、聞かざる
相場師・本間宗久の相場極意、「三猿金泉秘録」の中心的格言。
日光東照宮の有名な「見ざる、言わざる、聞かざる」の3匹の猿で表した世渡りの術は、株式投資にも大いに役立つというもの。
株式投資には情報収集は大切ですが、集めることだけに熱を上げて、あっちに行ってペチャクチャ、こっちに来てもペチャクチャやっていては、何が重要な情報であるかが分からなくなります。
また、他人の意見ばかり聞いていては人気につられて天井を掴んでしまいます。
人生も株式投資も最後のところは自己の確立が大切といえるようです。
野も山もみな弱気なら あほうになって買いの種をまけ
周囲が弱気一色となると、相当に度胸がある相場巧者でも買いがたいものです。
そんな時は「おれはあほうだ。あほうよりひどいものはない」というくらいの開き直った気持ちで買うと好結果につながるという勇気づけの言葉です。
実体の伴なわない相場は長続きしない
実体とは人間なら健康で体力のある状態です。
健康や体力に自信がないと何をやるにも中途半端で終わってしまいます。
もちろん気力は大事ですが、それだけでは限界があります。
株もまた、信用取引の期日が一巡した、公的資金の買いが入った、などの需給面だけでは長続きしません。
景気が上向いて企業業績が好調を持続することこそ、株価の安定した上昇につながります。
個人投資家はやはり、企業業績の良い銘柄に投資することが基本であるという教えです。
保合い(もちあい)相場の対応で、天国にも地獄にもなる
相場の中でなにが一番難しいかといえば保合い相場でしょう。
「保合いにはつけ」、「保合いは大相場の前兆」といった強気の格言もありますが、「保合いは下げの前兆」や、「保合いは売っておけ」といったものもあり、完全に分かれています。
相場では売り方と買い方が大事なお金をかけて戦っているわけですが、両者の力が均衡したところが保合いです。
ちょうど川中島の戦いのように睨み合った状態です。
天がどちらに味方するか、保合いは運命的なものが含まれているのではないでしょうか。
大きく上げた後の局面での保合いか、下げた後の保合いかによっても変わってきます。
1992年から2001年半ばまで保合った相場は底入れとみられていましたが、下放れて1万円を割ってしまったのですから、位置だけで判断するのも危険です。
国策には逆らうな
国家があってこそ、企業も家庭生活も成り立つのだから、正しいとか正しくないではなく、国のその時の政策には逆らうことはできない、むしろ政策に関連した銘柄は、前向きに評価して買ったほうがいいという教えです。
国策には国自体の進路を決めるような大きなものから各種産業政策などいろいろですが、80年代後半から90年初めの土地本位制を鮮明にしたバブル政策や、2000年前後のIT育成などは代表的国策といえるでしょう。
知ったらしまい
いい材料でも悪い材料でも、正式に表面化したら材料出尽くしとなるので、いったん手仕舞うのがいいという教えです。
たとえば、「会社四季報」の予想で今期の業績が相当よくなるという銘柄は四季報の発売と同時に買われますが、正式な決算発表で予想通りの好調な数字であっても、材料出尽くしとなります。
業績のほかに、新製品の期待などで買われるケースでも同様です。
最初の大商いには黙ってつけ
今まで出来高の少なかった銘柄が突如、大商いとなったら、必ず何らかの理由で買っている人がいるのだから、自分の講釈は後回しにしてとにかく最小単位でもいいから買ってみなさい、という教えです。
出来高は株価に先行するという格言もあるように、日頃から出来高をチェックしておけば、相場のスタートをうまくつかまえることができます。
下げるときは一株でも下げる
一株とは誇張した言い方ですが、買い物の引っ込んでしまった弱気の相場地合では、わずかな売り物でも下げるのであなどってはいけないという教えです。
相場が上がる時というのは経済環境などのいい時ですから、多くの投資家が参加しているため、売り買いが交錯して僅かな買い物ではなかなか上がりません。
しかし、大寒波の来ているような寒い時は人は家の中に引っ込んでしまっていますから、不況の続く相場では、大半の売りは消化されたからもう下がらないといった言葉には気をつけようと説いています。
経済が好転するまで、季節が春になるまで待ってから買っても遅くないという格言です。
節分天井の彼岸底
節分は立春で新しい年の始まり、お彼岸は春分の日で昼と夜の長さが同じで、ともに昔から季節の上で重要視され、米相場などで格言として使われてきたようです。
株式市場では、節分のある二月に天井をつけ、三月後半のお彼岸の時期には一年を通してみると底になっているケースが多いとされています。
二番底は黙って買え
チャートで大変重要視される形から格言として使われています。
下げてきた株価が最初の安値をつけることを一番底といいます。
そのあと反発して再び下げ、最初の安値近辺まで下げる場合、そこが本当の安値になることが多いことから二番底といって買いの急所として教えています。
冷水3斗で底が入る
相場の悪い時というのは季節なら冬です。
そこへさらに冷たい水を1斗樽で3杯もぶっかけるのですから震え上がるどころか凍え死んでしまうほどのことです。
景気・企業業績が好調な中での悪材料なら一過性の下げで終わりますが、景気が悪いなかでの下げは、冷水を3斗もかけられるような厳しい下げがないと本当の底は入らないという教えです。
顔色の悪い社長の株は買うな
大事なお金を投じるのですから、しっかりした経営の会社を選ぶのは当然です。経営者も人の子ですから、意外と顔色や表情に経営の善し悪しが出るものです。「健全な精神は健全な肉体に宿る」ともいわれますが、「健全な経営は健康な経営者に宿る」と言い換えることができるのではないでしょうか。
ここでいう顔色とは、単純に色白が悪いということではありません。表情に精気とツヤがあって生き生きしていることが大切ということです。
現在のような不況ではどこの経営者も必死ですから表情は引き締まっていますが、バブル経済の時のように好況にうかれて表情が緩んでいる時こそ要注意ですから、先行き景気がよくなった時に役立つ言葉です。
最近は経営トップが直接投資家に語りかける場面も増えていますので「いい表情」かどうかを見るのも投資の際のポイントのひとつでしょう。
商いは買い手がいるうちにやれ
商いは陽(ひ)の暮れるまでにやれ、ともいわれます。
もう少し待てば、もっと高く売れるだろうと欲を出しすぎると、折角の売買のチャンスを逃してしまうという教えです。
とくに、株価が人気化して出来高が増加してくると、もっと上がるだろうと思うのは無理のないところですが、それ以上さらに買い手が現れるどうかはわかりません。
株価が一旦、天井をつけると出来高は急速に減少します。
つまり買い手がいなくなってしまいますので、出来高の活発な間に売ることを心がけるのがいいといえるでしょう。
鬼より怖い一文新値
一文(いちもん)は、穴のあいた一文銭といわれる最小単位の貨幣で、今でいえば一円です。
新値という場合、新高値と新安値がありますが、どちらかといえば高値更新で使われます。
徐々に人気を高めてきた銘柄がついに以前の高値を抜いたものの、大きく抜くことができず、わずか一円だけ更新してそれ以上は上に行かなくなった相場は鬼よりも怖い、強烈な株価の天井になるという教えです。
現在でも「2番天井」といって、天井形成パターンの中でも嫌がられています。
半値八掛け二割引きで底が入る
記録的な大相場を出した銘柄が下げに転じた時の下値のメドとして目安にする教えです。
仮に、5000円で天井をつけた銘柄が下げに転じ4000円を割り、さらに3000円を割って下値のメドがつけ難くなった時に、この計算式で1600円程度を目安にしておけばよいということです。
大体、高値から3分の1ということになります。
大阪道修町の薬の街では薬九層倍といわれ、薬は原価の9倍くらいで売られ、原価はただ同然だったことから、薬を値切って買う時に使われたことから引用されたようです。
もっとも、経営不安を内包しているような下げのケースでは、会社がなくなる恐れがありますから、安易な買いは禁物です。
コメント